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Teacher's Cafe

経済学部教員が綴る、情報マガジン。このコーナーでは、経済学部教員がリレー形式で、思いつくまま最近気になっているニュースや、お勧めの新刊、旅行記など、受験生や学部生に向けてのメッセージを発信します。

社会政策とは何だろうか−その定義・考え方・課題−

2010年9月24日
経済学科 松尾孝一

1.社会政策とは?
私は経済学部で社会政策論という科目を担当しています。この科目は、ミクロ経済学、マクロ経済学やその応用的科目など、いわゆる主流派経済学(俗に言う近代経済学、近経)を中心に構成されている青学経済学部の専門科目の科目構成の中では、やや周辺的な科目であるかもしれません。

それはともかく、この社会政策という言葉は、最近の多くの人にとってはなじみの薄い言葉であるかもしれません。しかし社会政策は、国民の労働や生活の分野における様々な問題(社会問題)を解決するための政府の諸政策を指し、それだけに私たちの生活に身近な政策領域であると言えます。

もっとも、社会政策を学問的にどう定義するのかについては、昔から論争もあり、実はなかなか難しい問題なのですが、一応上記のように理解しておいて、そう大きな間違いはないでしょう。そして、この政策としての社会政策に関わる様々な問題を研究するのが、学問領域としての社会政策論であるわけです。

2.社会政策の必要性の根拠
ところで、この社会政策がなぜ必要なのかという根拠については、昔から様々な議論がありました。ただ、その労働政策の分野に関しては、「労働の従属性」ということがひとつの重要な根拠として指摘できると思います。

すなわちこれは、雇用の場において労働者と使用者とは形式上対等な契約関係であったとしても、実際には、労働者は使用者に従属する弱い立場にどうしてもなりやすいということです。というのも、労働者は、自分の労働能力しか「売り」がなく、経済的な蓄えも多くの場合わずかしか持っていませんから、使用者との雇用関係を途切れることなく維持することが労働者にとって死活問題であるからです。従って、労働者と使用者との間の関係は、民法の原則による両者の自主的な関係に任されるだけでは労働者側が不利になりやすく、それゆえに労働法などを通じた国家による労働者保護政策(これは社会政策の中でも最重要の領域とされます)が必要とされるということです。

皆さんも、産業革命後の各国で、「工場法」などを通じた国家による労働者保護政策がとられたことは、高校の世界史や日本史の授業などで学んだことと思います。ちなみに日本の場合、「工場法」は1911年に制定され(実施は1916年)、それが第二次大戦後に労働基準法に引き継がれる形で現在に至っています。

3.社会政策論と主流派経済学との認識の相違
上で述べたような労働の従属性ゆえに、国家による労働者保護政策をはじめとした社会政策が必要であると(少なくとも社会政策論の研究者は)伝統的に認識してきたわけです。ただしこの見方は、労働供給における労働者側の主体性(すなわち労働者は、余暇の効用と労働の報酬とを天秤にかけながら、自分の持ち時間を余暇と労働とに割り振る形で、労働の供給量を主体的に調節する)を根底に据える現在の主流派経済学の見方とはやや異なる点です。

しかし、たとえ労働の供給が労働者の主体的選択によって行われるとしても、いったん労働者が雇い入れられれば、その一定の労働時間中、労働者は使用者の指揮命令に服さねばならず、仕事を勝手に放り出すこともできないわけですから、労働の従属性はやはり否定できない命題であると私は考えます(むろん転職の自由はありますが、2で述べたことからも、仕事を辞めることにはそれなりの覚悟がいりますし、一人ではストライキもできません)。ちなみに、労働法の分野における多くの法学者も、この労働の従属性を基底に置いた理論構成をしています。

4.社会政策と経済政策との違い
なお、社会政策と似た概念に経済政策というものがあります。社会政策と経済政策との関係については専門家の間でも諸説ありますし、そもそも政策科学として両者の対象領域はある程度重複しているがゆえに、両者の間に厳密な線引きをするのは難しいことは確かです。

ただ、両者の相違について私なりに整理すれば、経済政策は、市場経済が引き起こす問題を市場経済のメカニズムに即した手法で経済学的に解決することを目指すものであると思います。一方、社会政策は、市場原理の働かない分野における問題や、市場経済に由来するものの、その外部の領域にまで波及して社会問題化した問題などを、必ずしも経済学的手法にとらわれない形で解決することをその役割とすると考えます。従って、社会政策においては、どのような水準が問題の解決水準として妥当であるかといった、公平・正義・平等などに関わる価値判断の問題を排除することはできません。

例えば、最近の不況の中で深刻化してきた失業問題は、それを単なるマクロの労働市場における労働力需給の不均衡としてとらえるならば、経済政策の対象領域となるでしょう。しかし、例えば、失業した人々に対する生活支援や職業紹介をどのように行っていくかということは、社会政策の領域になってきます。また、失業は単なる労働需要の不足だけではなく、求人(企業)側の求める職種・技能水準と求職(労働者)側の職種・技能水準とのミスマッチによっても生じるものなので、両者の差を埋めるための政策(例えば職業訓練)をどう行うかといったことも、社会政策の領域になります。

なぜなら、これらの失業対策においては、具体的な制度設計が重要となる上に、それらの施策の望ましい提供水準についての最適な解が必ずしも経済学的に導けるわけではなく、政策上何らかの価値判断が求められるからです。また、そもそも、生身の人間と不可分の存在である労働力の育成・確保・配置の問題は、人々の生活や教育とも深く関連しているため、市場経済の範囲を超える問題であり、それゆえ経済政策だけの範囲には到底収まりきりません。

5.社会政策、社会政策論の課題
ただし近年は、上記のような労働政策中心の社会政策だけではなく、社会保障や生活の問題も社会政策の重要な対象領域としてクローズアップされてきました。総人口に占める労働力人口の比率も低下していく高齢化社会においては、これは当然のことかもしれません。そして社会政策論の研究者の間でも、労働政策を中心に構成された社会政策(これを「狭義の社会政策」と呼ぶことがあります)よりも、社会保障政策を中心に構成された社会政策(これを「広義の社会政策」と呼ぶことがあります)を重視する立場がその割合を増やしつつあります。いずれにせよ、近年は社会政策の対象領域が以前にまして広がってきています。そして、それに伴って社会政策論は対象領域も多様化し、人文・社会科学の諸領域に関連する学際的な学問になりつつあります。

しかし、高齢化社会の中での社会政策のコア領域を何とみなすにせよ、現役世代の多数が働き続けなければ社会を支えられないことは明らかである以上、労働をめぐる問題は、今後とも社会政策の対象として重要な領域であり続けることは間違いないと思います。ただ、政府のマクロな社会政策だけでは、人々が働く現場の問題はなかなか解決できません。その意味では、社会政策を研究する社会政策論は、隣接の学問領域とも連携しながら、人事管理や労使関係上の問題など、働く現場のより具体的な問題にも現状分析的に切り込んでいき、問題解決の道筋を提示していく必要もあります。

以上、このコーナーの趣旨からすればやや立ち入った話をし過ぎたかもしれませんが、この小文から社会政策、社会政策論という分野の重要性や奥の深さを多少なりとも感じ取っていただければ幸いです。これ以上の話は、実際の授業の場にでも譲ることにしたいと思います。