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2010.7.5更新

僕が見たインド

僕は、2007年に大学を休学して、アジア8カ国を8ヶ月間、一人で旅をしました。そして、2009年8月から3ヶ月間、僕は夏休みを利用して前にも一度行ったことのあるインドに再び旅に出かけました。そんな僕が見たインドをみなさんにも少しだけ伝えたいと思います。

インドは大きい国ですが、僕が滞在した場所は一箇所、ヒンズー教の聖地バラナシです。インド人がよくガンジス川で沐浴している場所です。日本でいうところの、経済の中心というより、文化・芸術の象徴的な都市である、京都のようなイメージに近い場所と思います。ここは、インドのなかでも特に特別な場所で、ヒンズー教徒の間では、バラナシで死んでガンジス川に灰となって流されることで、輪廻の輪から抜け出し、生まれ変わることはないと信じられています。

ヒンズー教というと日本人の僕らには馴染みがないように思いますが、インドはブッダが悟りを開いた場所であり仏教発祥の地です。ヒンズー教の教えのなかには仏教が取り込まれていて、インドと日本の精神性には近いものがあると僕は感じました。それは感覚的なものなので言葉ではうまく説明はできませんが、それを表す例になるのか、なぜかバラナシに長期間滞在する旅人は、欧米人よりも日本人ばかりでした。

バラナシは世界で最も古い都市のひとつです。バラナシよりも古い都市はあるのですが、今でも昔ながらの生活が続いているという意味で、世界的にも極めて興味深い都市のひとつといえるでしょう。例えば、バラナシの街の中では、いまでも牛や山羊がいたるところにいますが、人々がエサを与えたりミルクを絞ったりと、人間と動物が街の中で共生しています。インドでは牛と人間との関係は親密ですが、道を歩いていて牛が邪魔で通れないときは、不思議なことに牛が道を譲ってくれたりもします(私たちには、そう思えるのです)。そんな牛がすぐ隣にいるところで、現代文明の一つであるインターネットが使えたりする環境があったりするのは、なんとも不思議な光景のような気がします。

僕は、今回の旅では、インドの古典打楽器である「タブラ」を習いに行きました。もちろんタブラを習うこともしっかりやりましたが、僕は二回目のバラナシということもあり、友達が多くいて、そこではインドの実情を眼にすることになりました。昨今、インドはBRICSと呼ばれて経済成長が著しい国の一つといわれていますが、僕が見たインドはとても豊かとは言えませんでした。

道を歩けば大量の物乞い。彼らの子供は路上で生まれて、新たな物乞いとなっていきます。なかには、親が子供のために子供の手足を切ったりするそうです。なぜか? いい物乞いになれるように、憐れみが受けやすくなるようにと。このことからも問題の根深さが伺えます。

川沿いには学校に行けない10才にも満たない花売の少女たち。子供のころは可愛いので、観光客も花を買ったりしますが、学問も技術もないままで大人になったときに彼女たちがどうなるのでしょうか。幼い子供に「花を買ってくれ」といわれて断ったときに、“this is my business!(これが私のビジネスなの!)”と純粋な瞳で言われた時の、なんともいえない虚しさは忘れられません。

そして、大量の観光客目当ての詐欺師。気軽に話かけてくるインド人、特に日本語で話してかけてくる人々は、まず騙すことを目的にしていると見て間違いないでしょう。旅をしている人で、一度も騙されない人はまずいないと思います。
一回目の旅で見えたのは、ここまででした。
そして、今回の旅では、仲の良いインド人の友人と行動を共にすることで、さらに色々なことが見えてきました。そのなかで最も衝撃だったのが、「騙す」相手は観光客だけではなかったということです。地元の人同士で騙し合いが横行していて、多くの人が人間不信に陥っていました。しかも、子供の頃からの幼馴染だったのに「騙された」ということもよく聞きました。そんな社会がこの世界に存在することが衝撃でした。

少し経済学に絡めれば、経済学の想定する人間像に「合理的経済人」というものがあります。これは「自己の利益を最大化するように行動する存在」と人間を仮定した上で、理論を構築するものであり、現在の経済学の主流です。もしこれが正しいとするならば、インドで起こっている友人すら平気で騙して、利益を得るという行動ははたして「合理的経済人」と言えるのでしょうか。(むしろ、ゲーム理論で言う「囚人のジレンマ」のような状況が、現実に起こっているのではないかと思います。)こうしたインドの現状を見た僕は、経済学の想定するこの「合理的経済人」というモデルがとても正しいものとはとても思えないです。

こうしたインドの現状の根本的な原因は何かと考えたとき、「おそらく『教育』が重要ではないか?」というように思いました。日本の教育でいう「道徳」が欠落した状態で、さらに文字の読み書きができない人々が多いなかで、情報が正しく伝わらないということも起きていました。(口だけの伝言ゲームが社会的に起きていると考えればわかりやすいと思います。)その教育を担うべき「政府」がしっかり機能していない状態で、問題を解決するのには時間がかかりそうです。

僕は「この国が名実共に先進国になる日はまだまだ遠い」と思いました。と、同時に、いかに自分のいる環境が恵まれているのかを思い知らされることになりました。僕は、同じ地球に生きる人間として、このような状況に対して自分に何ができるのかを考えながら生きていきたいと思っています。

ここではインドの負の側面を大きく書いていますが、これは普通の観光旅行などでは絶対に見えない部分です。僕は、現地の人やタブラの先生とずっと行動を共にし、外国人がほとんどいないような場所に行ったりもしていたので、こういう裏の部分まで見えました。とはいえ、インドの旅では楽しいことも本当に多かったといえます。

インドは、歴史のある深い文化や、洗練されたインド音楽などの芸術、タージマハルなどの世界遺産、とても特徴的な食べ物(カレー、チャイなど)や、昨今話題のヨガなど、魅力的なものがとても多い国で、好きになったらリピーターになってしまうでしょう。僕のように・・・(笑)。
また、旅をすると人との出会いというものを本当に大切なことに感じます。結局のところ、僕の場合は旅をするということは、人との出会いに尽きるような気がします。現地の人達や、個性あふれる旅人との交流も本当に楽しくて、今でも旅で出会った友達とはよく遊んでいます。

僕は、旅をすることをみなさんに強くお勧めます。これほど勉強になることはなかなかないと思います。ぜひみなさんも機会があったら、1ヶ月くらいどこかに行ってみてください。

(by T.Chikahiro)