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Epoche (立ち止まって考える)

現在経済デザイン学科 中川辰洋
l021最初の年の半分ほどを除けば“棺桶(学校)”にほとんど通わない高校3年間であった。1968年パリ5月事件への共感もあって、反戦運動、政治運動に飛び込んだのが理由の一つ。それにもう一つ、高校のカリキュラムに意味をまったく見出せなかったことを挙げたい。

地歴、政経(公民)など社会科の教科書は義務教育のそれのヤキ直し(「世界史」、「日本史」の二分法は歴史への冒涜!)、英語の教科書も単語が踊っているだけ……。小学生の頃にビートルズで入門し、中学校でよき教師に出会って学んだ英文法——当時は、分詞構文、話法の転換、関係副詞など盛りだくさんであった——で英書の講読には十分であった。

だから、朝早く校門近くで反戦集会への参加を呼びかけるビラを配り、“アジ演”をしても教室に入っていくのは稀だった。その後は自宅かアジトでデカルト、パスカル、マルクスなどの哲学書や近現代史の研究論文に頸っぴきになるか、高校の授業で唯一関心のもてた漢文のお蔭で白居易、王維、李商隠らを吟じ、ボードレール、ランボー、リルケなどの詩集を暗記するほど読んでは、愛用のモンブラン(万年筆)でノートの空白を埋めていた。

とくにボードレールには傾倒しきりで、漠としてではあれ、大学でフランス文学を研究しようと思い、高校入学直後からNHKの仏語講座で独学をはじめた。何と無謀なことを、と今さながらに冷や汗の垂れる思いだが、仏語は習得できた。それもそのはず、ラジオ講座の講師は基礎編が朝倉季雄、応用編が福井芳雄、テレビではそれぞれ丸山圭三郎に小林 正。当時も今もこれだけの大家を擁する仏語・仏文科はまず存在しまい。まことに幸運であった。大家の指導よろしきを得て、大学・大学院と外国語受験は仏語で通した。

読書尚友——社会思想、歴史、漢籍との縁は今も絶えることがない。ところが、これらの分野は昨今の高校では“飛ばし”——本来は、実際には値崩れした株や債券を高値で第三者に売って損失を粉飾する犯罪行為——の対象と聞く。新入生諸君の日本語の理解力のなさ、内外の歴史や文化の知識が度し難いまでに狭く、浅いのはそのせいかもしれない。

見ようによっては、ぼくの知識・教養は一面で“深く”とも、シャーロック・ホームズばりの“偏向”を免れなかった。国公立大受験はハナから無理と見付け、私大に進むしかなかった。時務に処し、“らしい高校生活”を送るべきだったろうか。否! らしくない生活の節目節目で、何がしかの疑問を抱き、自ら考えて調べ、回答を見出してきたことを思えば悪くはなかった——少なくとも“学び”とはかくあるもの、と割り切ることができる。

l022モンテーニュ流に言えば、物事を何でも真に受けず、一度は疑い、思考するという方法的懐疑主義。人間は考えた末に必要となれば事に手を染めないですまされない。あとはどこまでやるか、そして究極的には何を目指すか。幸いにも、ホームズが「そんなものいったいなんの役にたつのか」と訝った太陽系の知識も身に付けた。その結果、わが名探偵の言うように「生活や仕事はいっこうに変化」しなかったかどうかは、今も分からない。