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美術鑑賞の楽しみ(2011年初冬)フィリップス・コレクションとニューヨーク

経済学部 金田由紀子
首都圏で暮らす楽しみのひとつに、美術館があります。ニューヨーク、ロンドン、パリなど、世界の他の大都市と同様、東京(首都圏)にも、優れた美術館や美術展が沢山あります。本当に見尽くせないほどです。今年11月に見た展覧会の中で素晴らしかったのは、『モダ—ン・アート,アメリカン:珠玉のフィリップス・コレクション』(国立新美術館 12月12日まで)でした。個人収集家のダンカン・フィリップス氏(1886〜1966)は、まだ十分に評価されていなかったアメリカ人画家の作品の収集を早くから始めて、1921年、ワシントンD.C.に美術館を開きました。今回の美術展では、その一部110点を展示していますが、アメリカではよく知られていても、日本ではあまりなじみのない画家の作品なども幅広く扱い、貴重な展覧会です。その中から、4作品をご紹介いたしましょう。

まず、目を引いたのは、アフリカ系アメリカ人(以後、本稿では「黒人」と記述いたしますが、差別的な意味はありません)、ジェイコブ・ローレンス(1917〜2000)の《大移動シリーズ》(1940〜1941)からの5作品でした(このシリーズは全部で60作品)。
ローレンスは、13歳から、家族と一緒にハーレムで暮らすようになりました。ハーレムは、ニューヨーク市マンハッタン区北部にあり、黒人の街として知られています。その頃のハーレムは、大不況の最中でもあり、貧しい黒人が多数居住するスラム街(貧困街)でした。しかし、アメリカの他の地域にあるような酷い人種差別もなく、1920年代には、様々なジャンルの黒人芸術家が自由に才能を発揮できるコミュニティになっていました。この地で黒人芸術が花開いた1920年代を、「ハーレム・ルネサンス」と呼びます。ハーレムに移ったローレンス少年も、ほどなく画才を発揮するようになりました。
《大移動シリーズ》No.3は、小さな絵ですが、「南部のあらゆる町から、大勢の移住者が北部へと旅立った」という長い題がついています。移動する黒人の集団は、まるで影絵のようで、黒色・くすんだ焦げ茶色・濃い緑色の暗色系が画面の中心を占めています。それぞれの横顔の表情をよく見ると、疲れが見えたり、うつむいたり、緊張したりしています。かついだ荷物は、全財産であるかもしれません。シンプルに描かれた群像ですが、過酷な歴史、移動の苦労、見知らぬ土地と将来への不安が表現されています。
別の見方もできます。11人の移住黒人は、皆、全身を同じ方向に向け、一心に前進しています。そして、この集団がつくるピラミッド型は、力強く地平線を突き抜けています。やや不安定ながら、自由に空飛ぶ鳥の群れが、道連れです。アクセントの明色(黄系やピンク系)も、画面に躍動感を生みだしています。小さい画面から、造形的な面白さと、希望のメッセージが伝わってくる名画です。
l050 「大移動」とは、南部から北部諸都市への黒人たちの移住のことです。奴隷制度から解放された後にも、南部には根強い人種差別があり、黒人はリンチで生命を奪われることさえありました。南北戦争が終わった1865年に制度上の自由を得た後、移住は徐々に始まっていましたが、特に第一次世界大戦の頃から20世紀半ばまで、北部大都市へ大挙して移住しました。南北戦争終結後、アメリカは、農業中心社会から工業社会へと産業構造が変化しましたが、黒人の「大移動」には、新しい仕事を探す目的もありました。
黒人の街ハーレムは、1910年代から形成されていきますが、その背景には、全米的に繰り広げられたこの「大移動」の影響もありました。画家ローレンスの両親も、それぞれに、南部から北部への移動を果たした黒人でした。

l051 エドワード・ブルース(1879〜1943)の《パワー》(1933年頃)は、不思議な作品です。高層ビルの街になっていたマンハッタンを、水域を挿んで対岸から見た都市景観図です。マンハッタンの「パワー」を表した絵ということになりそうですが、濃淡の灰色でビル群が描かれた肝心のマンハッタンには、力強さが感じられません。むしろ、ブルックリン橋らしき橋と、前景に描かれた茶色の岸壁に、現実感があります。実際、この絵が描かれたのは、1929年に始まる大不況の最中で、マンハッタンが経済力を失っている時でした。空から射している陽の光は、「パワー」回復への祈りかもしれません。
ブルースは弁護士として成功しましたが、職業画家になる夢を持ち続けていました。イタリアで長く美術修行もしましたが、画家として成功したとは言えなかったようです。中国美術の収集にも力を入れていました。また、不況時代の1933年、ニューディール政策の一端として政府が行った、美術家救済政策のディレクターとして任命されました。アメリカ中の公共建築に壁画を描く画家を多数採用し、画家を経済的にサポートする重要な仕事をしました。

アメリカ女性画家で最も人気があるのは、ジョージア・オキーフ(1887〜1986)でしょう。今回の展覧会では、《葉の形》(1924)など、数作品が見られます。中西部に生まれ、アメリカ各地の美術学校で学び教壇にも立ち、1918年からニューヨークに住んでいます。1924年に写真家のスティーグリッツと結婚しますが、彼の死後、1949年に南西部のニュー・メキシコに移り、永住しました。画面一杯に描かれる花の絵、大都市の高層ビルの絵、自然の景観、砂漠に建つ教会の絵、動物の骨の絵など、オキーフ特有の主題があります。ほぼ一世紀を生き抜いた画家ですが、社会的変動や歴史的事件が作品に現れることはほとんどありませんでした。
l052 《葉の形》は、重なる3枚の葉を拡大し、細部まで描いた自然観察の絵画です。葉は珍しいものではありませんが、画家は最大限の美しさを引きだしています。3枚の葉(2枚目の白色は花弁にも見えます)の色彩の組み合わせ、葉に描かれた陰影、褐色の葉に鋭く刻まれた縦の線など、「自然」といっても、視覚的効果を十分に計算して再現されています。
日本には、「花鳥風月」という言葉があるように、古くから、自然の風物を愛でる伝統があります。オキーフは、1910年代中頃に、ニューヨークのコロンビア大学でアーサー・W・ダウから美術教育を受けていますが、ダウの美術論には、日本美術が深く関わっています。オキーフの美しい絵画も、日本美術から何かを吸収して描かれたものなのでしょうか。興味深いテーマです。

絵画には、自分だけの特別の理由があって、愛着を感じる作品というのがあります。今回の展覧会では、アーサー・B・デイヴィーズ(1862〜1928)の《エリー運河沿いで》(1890)と出会ったとき、しばらく時間を忘れて、見入ってしまいました。運河周辺の牧歌的な風景や、おとぎ話の世界でも連想させるような人物描写が、長く思い描いていたエリー運河のイメージと、ずいぶん違っていたからでしょう。
エリー運河は1825年に完成しましたが、五大湖周辺と、ニューヨーク港を河口とするハドソン川をつなぐために造られたものでした。ハドソン川は、今でも、マンハッタン西側を悠々と流れています。エリー運河は、交通機関が限られていた当時の貨物輸送の手段として画期的なものでした。例えば、この運河のおかげで、中西部から欧州への農産物輸出量が、大々的に伸びたそうです。人の往来も多くなり、運河沿いの都市も栄え、特にニューヨーク市の経済は、この運河の恩恵を受けて、飛躍的に発展していきます。
画家のデイヴィーズは、エリー運河沿いのユーティカという所で生まれました。デイヴィーズ描く運河は、経済的効用とはかけ離れた、のびやかな田園風景の一部です。木々に繁る葉や水辺の草花、小さく描かれた人間の仕草や遠景の小さな森など、絵の細部を詳しく見ているだけで、楽しい時間が過ぎてしまいます。そして、この運河の歴史をたどってみたくなります。
《エリー運河沿いで》を手に入れたフィリップス氏は、約100年先の未来になって、しみじみとこの絵の前に立ち尽くすアジア人がいるかもしれない、と想像していたでしょうか。

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【参考】

  • 本展公式サイト:http://american2011.jp/・国立新美術館:www.nact.jp
  • フィリップス・コレクション:www.phillipscollection.org/homepage.aspx
  • 青山学院大学は、国立新美術館の「キャンパス・メンバーズ」です。学生証を提示すると、本企画展が割引料金で鑑賞できます。他に、国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、東京国立博物館、国立科学博物館において、常設展の無料観覧、特別展・企画展などの割引が利用できます。同じく、学生証を忘れずに提示してください。