その他のコンテンツ

ティーチャーズ・カフェ

幸福度指標研究の不幸?

経済学部 藤村学
“Ask yourself whether you are happy, and you cease to be so.”(幸せかどうか自分に聞けば幸せでなくなってしまう) − J.S.ミル

l054 国民総幸福(Gross National Happiness, GNH)という言葉が最近頻繁にマスコミに取り上げられるようになった伏線として、ここ20年ほどOECD(経済開発協力機構)諸国で盛んになった幸福度指標の研究があります。様々な分野の研究者が真剣に取り組んでいて、経済学の領域を広げる可能性のある分野だとは思います。Journal of Happiness Studies という名の学術雑誌が1990年から刊行されて市民権を得ているようです。しかし、貧困削減といった一見単純な政策目標でさえも研究者の知見が一致しない状況を見ている者にとって、主観的な幸福度の向上を政策目標にしようという発想は、とてもheroic(この言葉がどのように響くかは読者のセンスにお任せします)に思えてなりません。個々人の満足度や効用を集計することは理論的(社会厚生関数に倫理基準を持ち出さなければならないという問題)にも実務的(客観的な結果を導くためのデータ収集、行政コストなどの問題)にも困難だと思います。公共選択分野で有名な「アローの不可能性定理」でも、個人の好みのみに基づく論理的に一貫した社会的選択の方法は存在しないことが数学的に証明されており、主観的好み(世界のいろんな状態の組み合わせに対する個々人の主観によるランク付け)のみに基づく社会全体の幸福度指標を開発しようとするのは、とてもheroicなことだと思います。本稿では、①ブータンの国民総幸福(GNH)、②『日本でいちばん幸せな県民』という出版物、③内閣府発表の『幸福度に関する研究会報告-幸福度指標試案-』の3点についてコメントしたいと思います。

①ブータンの国民総幸福(GNH)について

2011年12月上旬、個人として大変魅力的と思われる若いブータン国王夫妻が訪日してさわやかな印象を残していったことは、ヒマラヤ山脈に抱かれ孤立した小国にとっては外交的成功であったと思います。しかし、日本のマスコミが無批判にブータンをユートピア的に描いている様子や、GNHという概念を無批判に受け入れているような論調については少々違和感を覚えます。GNHは1976年に当時の第4代ブータン国王が発言したことが始まりだといわれますが、中国とインドという大国に挟まれ、資源にも恵まれない小国にとって、治世者としては国民にプライドを与え、国際社会でアピールするには賢明な発想なのかもしれません。敬虔な仏教国でもあり、物質的に質素な生活をよしとする伝統文化を維持することが、社会の安定に寄与するのかもしれません。私自身、援助機関勤務時代の今世紀初頭に仕事でブータンを訪れたときは、青空に映える里山風景や素朴そうな人々の暮らしぶりに感銘を受けました。ただし、1月だったせいもあり夜はそれなりに立派なゲストハウスでもとても寒かった覚えがあります。正確な現状はわかりませんが、私の経験では、外国人訪問者の行動範囲や宿泊可能地は政府が管理しており、入国者数を意図的に制限する目的で、1日あたり200米ドル以上を支出することが義務づけられており、その支出の30%は政府へ納めるとても高率の観光税になっていたと思います。今回のブータン国王訪日をきっかけに日本人の観光客が増えたという報道があります。経済学者としては「観光需要の価格弾力性」というような発想をしてしまいますが、この高価な入国料・観光税にたいして、訪問経験がそれ以上の価値があると判断するのかどうか、それこそ個人の主観によるでしょう。

ちなみに日本以外のメディアでは、例えばWashington Post紙(2011年10月31日付)では、 “In Bhutan, pursuit of happiness is a tough mountain to climb”(ブータンでは幸せを求める山道は険しい)という見出しで、西方の農村地区でGNHスコアが最高度を示した一方、首都のティンプーでは若者が民族衣装よりもTシャツやジーンズを好み、民謡よりもロックを聞きたがり、政府が推奨する伝統文化は苦痛だという意見も紹介しています。また、デレック・ボック著『幸福の研究』(2011年9月東洋経済新報社刊)でも、その冒頭に、英語教育も含めインドの援助への過度の依存やネパール系移民への差別的扱いについてもバランスよく伝えています。国民の9割以上が幸福を感じているというのがブータンの世論調査結果らしいですが、テレビが初めて放映されたのが1999年で、立憲君主国になったのが2008年だということですから、識字率が改善しているとはいえ、国民一般の知識水準が低いほど、現状に満足する度合が高いという可能性も否定できないでしょう。客観的な生活水準を基準にすれば世界で後発開発途上国(LDC)に分類されるブータンの国民にとって、海外の情報に触れる機会が増えるにつれ、GNHは「窮屈な民族衣装」になっていくのではないかと察します。

②『日本でいちばん幸せな県民』(2011年11月PHP出版)について

この出版物は橋本徹・新大阪市長が大阪知事・市長のダブル選挙のキャンペーン中に「大阪は全国で一番不幸だ」と叫んでいた、その情報源だということに気づき、読んでみました。細かく批判するのは本意ではありませんが、相当違和感を覚えましたので、以下、感想を述べます。

第1に、序章に「調査研究の方法は、地域の幸福度を客観的に示されていると思われる指標を…60を超えましたが、1指標ごとに詳細な検討を加え、…40の指標に絞りこみ…」とありますが、その絞りこまれた指標のいくつかについては以下のように評価します。

幸福度を示す客観的指標という主張が疑わしい指標:「合計特殊出生率」(子沢山が幸福なのか?)、「未婚率」(既婚者が幸福なのか?)、「総実労働時間」および「1日の休養・くつろぎ時間」(労働時間とそれ以外の時間の選択は、消費水準と余暇のトレードオフ関係にあり、主観的な好みの問題)、「離職率」(自発的離職とそうでない離職は区別できるのか?)、「正社員比率」(自発的に正社員を選ばない人も不幸なのか)、「10万人当り公的苦情件数」(法的権利意識の違いが大きく影響するのではないか)、「1人当り医療費」、「10万人あたり医師数」および「10万人当り病院+診療所の病床数」(医療サービスの質次第ではないか)、「悩みやストレスのある者の率」(悩みやストレスのない人はいないのではないか)…
1人あたり実質県内総生産(もしくは所得)と高い正の相関関係がありそうで、「経済的豊かさをいくら高めても、人は幸福にならないという証左だと思います」という主張に矛盾する、つまり経済指標を肯定していると思われる指標:「転入率」、「交際費率」、「持ち家比率」、「1人当り畳数」、「下水道普及率」、「生活保護費保護実人員比率」、「離職非就業者率」、「有業率」、「完全失業率」、「作業所の平均工賃月額の実績」、「65歳以上1世帯当り老人福祉費」、「1人当り地方債発行残高」、「1世帯当たり負債現在高」、「1世帯当り貯蓄現在高」…
第2に、やはり序章で「本調査研究の目的は47都道府県民の幸福度にランキングや評点を付すことではありまません。…」と主張していますが、この出版物でやっていることはまさにそのことであり、総合ランキングと称して、りんごとみかんを混ぜて新たな指標を作るという拙速さで単純平均したうえで、各県の描写にその総合ランキングを引用しています。多少違和感を覚えながらも私が講義の中で学生へ解説している国連開発計画(UNDP)の人間開発指標(HDI)でさえ、4つの客観的な単一指標(平均寿命、初等教育修了率、識字率、1人当り国民所得)を選択したうえで、それらの指標をかなり恣意的に指数化してさらに加重平均していることをテクニカルノートで明らかにしています。

③『幸福度に関する研究会報告 – 幸福度指標試案 –』(2011年12月5日付内閣府公表: 内閣府サイトから全文ダウンロード可能)について

本報告書は幸福度に関する先行研究を要領よくまとめており、それなりに有用だとは思いますが、政策志向の部分はかなり強引だと感じます。本報告書が主張しているのは「主観的幸福度と相関の強い客観的変数の変化を拾い出し、その変化に影響を与えるような政策を考えることで、間接的に国民の幸福度向上に寄与する」ということだと私は理解します。しかしながら、主観的幸福度に影響を与える要素は時代、年齢、文化、宗教その他、それこそありとあらゆるものが入ってくると思われ、きわめて不安定(頑強でない(not robust))であることは容易に想像でき、国家間比較はおろか、一国内、あるいは国内の一地域でさえも個人間の幸福度への影響要素を比較するのも困難だと直感的に思います。ただし、この報告書が正しい点は、幸福度を1個の数値で表す統合化指標の策定を諦めている点です。りんごとみかんを一緒にしてランキングしようとする明らかな愚は犯していません。

本報告書が引用する「幸福のパラドックス」(Easterlin Paradox)については、ある程度の実質生活水準に達した社会では、もはやそれ以上の経済成長が幸福度(生活満足度)の上昇につながらない、という仮説やその実証研究についてそれほど違和感はありません。もっとも、上述のボック著の前半で紹介されている、「実質経済成長率が高いほど一貫して生活満足度が高い」と主張する、家計調査分析で高名なAngus Deatonの実証結果も注目に値すると思います。少なくともある程度の客観的な生活水準に達するまでは消費水準が満足度に直結し、そのまま幸福度につながるというのは発展途上国ではかなり真実だと思います。

ともあれ、本報告書は日本国民の議論を整理してガイドするよりは混乱させる要素のほうが多いと思われます。例えば、「おわりに」で「これまでの内外における学術研究の成果に基づいて指標の選別を行なったものである」と主張していますが、私の印象は選別よりは羅列であり、実際、本報告がカバーした世界中の過去の開発・進歩指標研究と比べても、本報告書が提示した132指標という数は、韓国(487指標!?)に次ぐ第2位の羅列です。なかでも、例えば「過労死への不安感」「社会のために役立ちたいとする者」、「困った時に助けてくれる者」、「自己有用感」、「他者への信頼」、「阻害感」、「地域とのかかわり度」、「自然への畏敬」といった、とても客観的に指標化できそうにない概念も候補として挙げられています。

本稿の最後に、しばしば不当な批判を浴びていると思われる、GDPその他の経済指標について、政策実務の観点からあえて擁護したいと思います。GDPやGNPは市場取引に反映される付加価値の集計であり、消費者が価値あるものとして支払う意思を表明した財・サービスを、集計の都合上、金銭価値で便宜的に表現したものであり、倫理的に間違っているというような批判は当たらないと思います。もちろん、市場外取引や外部経済に属する価値はこれらの集計に含まれないという限界を経済学者は承知しています。しかし、これらに代わるわる代替指標(NNW、GNHなど)は集計して適用することが困難だからこそ、いまだに「実質GDP成長率」や「購買力平価で測った1人あたり実質GDP」が、経済発展や生活水準の国際比較に使われているのだと思います。日本も超高齢化社会を迎えて国民全員がその生涯にわたって基本ニーズを満たすことだけでも大変だと思われるだけに、まずは客観的な生活水準の維持・改善に心を砕くべきではないかと思います。